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​如蜂菴. (にょほうあん)

花びらや色や香を

そこなわず

ただ蜜味のみをたずさえて

かの蜂のとび去るごと

人の住む村々に

かく牟尼尊は歩めかし

『法句経』四九 

『法句経』等の経典には、出家修行者が村里に入って托鉢をするときの物事に執着しない、淡々とした心や行いを、蜜蜂に譬えた比喩がみられます。菴主が修行を続けている出羽三山のご開祖である蜂子皇子の一文字と併せ、活動拠点としての名を「如蜂菴.」(にょほうあん)と名付けました。如蜂菴には、みなさまがお参りできるような伽藍はありません。必要としてくださる方がいれば、僧侶がその場へ脚を運びます。

​近い存在ではないからこそ、打ち明けられること・・・家族や友人、身近な親しいひとへ話しづらい困りごとや、もつれたお気持ちがあればどうぞ遠慮なく、お聴かせください。問いをほどく手がかりや気づきが生まれるかもしれません。

蜂のように、花や色や香りを損なうことなく、点々と訪うひじり。

運んだ花粉で、もしも一つや二つの花が咲くならば、素敵なことだなと思います。

​菴主について

二瓶 芳聖(にへい ほうしょう)

1980年生まれ。

幼少期の環境や、聴覚や視覚が過敏なことで身体に不調を抱えやすく、幼い頃は自己流の瞑想をおこないバランスを保つ。大学は食品学専攻。在学時、うつ病を発症し、数年間を治療に費やす。寝たきりの生活から体力を戻すために舞踏を習い、それを機に身体的感覚へも大きく意識を向ける。以降、yogaや中医学(漢方)の学びを経て、34歳で出家得度。大正大学仏教学部(真言学)に編入、卒業し教師資格を取得。出羽三山で修験道の修行のほか三宝院でも学ぶ。

現在、寺院勤務の一方で、本当にしんどい時には自宅から出ることもままならなかった経験から、必要としてくださる方のもとへ訪れる僧侶としての活動をはじめる。また死別に限らず喪失を経験した方へ向けて、モノのお片付けを通して、なくした大切な存在とつながり直す、グリーフワークの伴走をおこなっている。

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@2023 nyohoan.

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